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せんせいのーと

遠座先生が語る温故知新の教育

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vol.24 遠座知恵先生

せんせいのーとvol.24は教育学講座の遠座知恵先生です。遠座先生は教育史学を専門とし、東京学芸大学でも「教育の理念と歴史」などの講義を担っています。教育史の研究者として、現在の教育に何を思うのか。「主体性」をキーワードに聞きました。

遠座 知恵

教育学講座 学校教育学分野 准教授

東京学芸大学K類(国際文化教育課程)国際教育研究専攻卒業、筑波大学大学院博士課程人間総合科学研究科単位修得満期退学。博士(教育学)。日本学術振興会特別研究員(PD)を経て、2010年に東京学芸大学に着任し現在に至る。学部時代に恩師と教育環境に恵まれたことが、教育史研究の道を歩むきっかけになった。卒業研究以来興味を抱き続けている大正新教育の思想や実践を掘り起こしていくことで、これからの教育について考える手がかりを得たいと考えている。

大正新教育運動とは?

教育史学とは教育の歴史を研究する学問ですか?

遠座先生:教育学のなかにも方法学や経営学、哲学などさまざまな領域があり、その1つである教育史学は歴史的な方法や視点から教育へアプローチしています。今の教育問題がどのように形成されてきたのか、教育制度がどうしてこのような形になっているのかを理解することは、問題を解決していく手がかりになると思っています。

先生の専門である大正新教育運動とは、どのような教育ですか?

出典:山内俊次ほか著 『低学年教育作業主義の諸様式』東洋図書、1930年、272頁

遠座先生:紹介するのは、東京女子高等師範学校附属小学校の写真です。「子どもの村」という授業で児童が作りました。家や学校、木々など街の風景を表したジオラマです。おうちや地下鉄などそれぞれが作りたいものに分かれて制作した後、一つにまとめました。

出典:『児童教育』第20巻第7号、1926年、口絵

遠座先生:こちらの写真では子どもたちが展示物の配置場所を話し合っています。児童博物館という企画で、子どもたちが一から手がけ、何もなかった教室を博物館にしました。完成後さまざまな方が、この児童博物館を訪れました。

みなさんが小学生だったころの授業を思い出してください。総合学習の時間に班別発表をやりましたよね。そんな、子どもたちが能動的に活動する授業を大正新教育運動の時代では実践していました。

子どもたちが中心となって活動していますね。他にはどのような特徴がありますか?

出典:『児童教育』第19巻第8号、1925年、口絵

遠座先生:こちらはとあるクラスで開催されたお人形屋さんのようすです。写真左側で店員役をしている女の子と、そのお客さんの身長に差があることに気付くと思います。実は違う学年の子どもたちを一つのクラスにしているのです。子どもたちが多様な影響を与えあうことに教育的な意義があるという考えから、このような学級編成がなされていました。

大正時代に創った自由

大正新教育運動から現代に生かせることは何でしょうか。

遠座先生:大正時代は国が教育を厳しく統制しており、自ら考えて動くことが求められる時代ではありませんでしたが、自ら思考し動いた現場の先生方によって自由な実践がたくさん行われていました。主体性が求められる現代だからこそ、当時の先生たちの「能動的に動く姿勢」を学ぶべきでしょう。

現在の総合学習は子どもが自分で考え行動し、先生も子どもの主体性を伸ばす方法を模索する点で類似しています。決して「昔が遅れていて、今の実践が進んでいる」とは限りません。児童・生徒の自律を尊重することが社会的に当たり前となった今だからこそ実は先生自身は受け身になってしまう場合もあります。そのため、いかにして主体性を伸ばすかを教師一人一人が考え、能動的に動くと良いでしょう。

主体性の実現に寄り添う教師

主体性の伸長が求められている現代の先生は、どのように考えるとよいでしょうか。

遠座先生:自分の経験を出発点に、意見や課題意識を持っていくことが大切だと思います。ネガティブ、ポジティブ問わず意見を持つこと自体が、自ら考えることにつながっていくはずなのです。ただし一人で考えるにも限界はあり、他人と関わることで自分の課題意識が明確になる側面もあります。主体性は他人から持たせることができないのと同時に、他人と関わらずしては作れません。

学校は多くの人と関わる絶好の場であり、自分の課題を明確にすることができる場です。そして、先生は自分の課題にヒントを与えてくれる存在です。らこそ先生や学校の存在がとても大きいのだと私は考えています。

編集後記

総合学習は21世紀とともに始まりました。戦後の経済復興と人口増を背景にした詰め込み型の教育に弊害が生じ、学校の荒廃が社会問題になるなかで「ゆとり」が重視された結果ですが、その80年前にこれほど創造性に富んだ授業が展開されていたことに驚きを隠せません。

学校現場に出ていく学生として、激務に追われている中で教師としての主体性をどのように養っていくのか。現代よりも国の統制が厳しいなかで「教室」という場を守り、子どもたちが学ぶ自由と主体性を生み出していた100年前の実践は魅力的です。当時の授業を現代にどのように生かすか、これからも探っていきたいと強く感じました。

取材・編集/久慈浩聖・石川智治