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みちしるべ

「保健室」が存在しない国で行う養護教育

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鈴木春花さん 【みちしるべ】

東京学芸大学に通う学生がインタビュアとなって、さまざまな分野で活躍する卒業生が歩んできた道のりや将来の展望にせまるコーナー「みちしるべ」。今回のゲストは鈴木春花さんです。取材当時は、学芸大学の国際課でカンボジアの健康教育を研究していた鈴木さん。大学在学時から現在に至るまで、ラオスやカンボジアといった国々と深い関わりをもちながら健康教育を普及させています。養護教育専攻はどんなことを学ぶ専攻であるのか、その学問をどのように広げて活躍しているのか、新しい視点からお話を聞くことができました。

インタビュア:入戸野舞耶 山内優依

鈴木春花さん

2016年に東京学芸大学D類養護教育専攻を卒業。同大学大学院に進学し、2年間の休学を経て2020年に修了。在学中はJICAの協力隊としてラオスに2年間赴任。学芸大国際課の専門研究員を経て、現在は海外の日本人学校の養護教諭として活躍。

養護教諭はどんな先生?

山内:学芸大学のなかでも、D類養護教育専攻(以下、D養)を志望した理由はなんですか?

鈴木さん(以下敬称略):養護教育に興味があったからです。養護教諭は特別支援学校の先生だと思われがちでしたが、保健室の先生に代表される、学校で子どもたちの保健教育や保健管理(健康教育、健康管理)にあたる先生のことです。「小学校や中学校ではどのような健康教育が行われているのだろう」、「自分も養護教諭になってみたいな」そんな思いをもつようになり、志望しました。

山内:4年間の学部生時代を通して、印象的だった学びを教えてください

鈴木:D養は、実習が充実しているコースなんですね。教育実習はもちろん、病院や保健センターでの実習や、幼稚園での講習も受講しました。普段の生活では馴染みのなかった施設に伺えたのは勉強になりました。「養護教諭の仕事は、広い視野をもち多くの人とかかわりをもちながら行うのだな」と実感した記憶があります。

なかでも特に思い出に残っているのは病院実習ですね。看護師と一緒に巡回しながら(注1)、病院という施設の機能や入院している患者さんについて勉強していくと、「養護」と「看護」の違いを考えることができました。看護学部からも養護教諭の道を目指せますが、自分自身が教育学部から養護教諭になる意味に向き合った実習でもありました。
注1:養護教諭は看護師免許をもたないため、注射や点滴等の業務は行えません。

※参考:「日本の保健室と養護教諭を紹介します」パンフレット
 制作:竹鼻ゆかり(東京学芸大学)他
 教員の成果物紹介/養護教育講座Webサイト

 

入戸野:在籍していたなかで感じた、D養ならではの特色を教えてください。

鈴木:私の専攻はとても小さな講座で、1学年に在籍する学生は多くても12人ほどです。そのこじんまりとした雰囲気が自分に合っていました。当時は10人の学生に対して5名の先生がいらしたので、手厚い指導を受けることができました。

山内:授業以外の大学生活で印象に残っているエピソードや課外活動について教えてください。

鈴木:ラオスへのスタディツアーが印象に残っています。このスタディツアーは養護教育講座の指導教官が企画していたもので、春休みと夏休みに2週間ラオスへ渡航しました。初めて行ったのは大学2年生の夏休みです。海外のスタディツアーに飛び込むことで、旅行では味わえないような経験をしたいと思い、参加しました。自分の人生を変えた出会いというか挑戦だったなと今も思います。

大学院修了式

ふたたびJICAの協力隊としてラオスへ

入戸野:大学院在学中、スタディツアーで行ったラオスへJICAの協力隊としていかれたそうですが、勤務の際はどんな仕事をしていましたか?また、D養の学びが生かされた瞬間はありますか。

鈴木:私が経験したのは公衆衛生に関する職種です。ラオスの教員養成大学の教師を目指す学生が通う学校に配属され、そこで健康教育を行うことが仕事でした。それに加えて近所の小学校を訪れ、身体計測の普及にも携わりました。当時のラオスでは、ほとんど行われていない取り組みでした。

大学在学時、身長や体重を測ることや、自分の体を知ることのおもしろさを子どもたちに伝えることの大切さを学びました。それをラオス語で一生懸命伝えることができたのはD養での学びの成果だと思います。

山内:JICAの協力隊にはどのような方が所属されていましたか。

鈴木:大学生もいますし、社会人の方が仕事を辞めてから参加することもあります。教員とJICAの仕事を両立している人もいました。

入戸野:公衆衛生とはどんな学問ですか。

鈴木:漢字の通り、みんなの健康を考える学問、人が健康になるためにどんなことができるかを考える学問です。そのために集団の健康状態についてデータをとります。集団の範囲は学校、職場、赤ちゃんとお母さんの健康などさまざまです。対象によって見るものも変わってくる、そんな学問だと思います。

山内:目の前の一人ではなく、大きな集団の健康を見つめることの意義は何ですか。

鈴木:自分がラオスで行ったのは、授業で学んだなかの救急処置などではなく、健康教育でした。集団に対してどんな健康教育をしていくか現地の先生方と考える仕事をしていました。健康教育を学生に行うと、その集団事態が変化するだけではなく、そこで学んだことを家族に伝えたり、草の根的に広がっていきます。また、その学生が将来教師になって、手洗いが大切だということを生徒に教えれば、それが30人に広がり、その家族へと伝えることもできますよね。健康教育を普及するにはとても時間がかかりますが、計り知れない影響力をもつ大切な教育であると考えています。

山内:帰国後ラオスを恋しく思うことはありましたか。

鈴木:いまでもとても懐かしく、ラオスに帰りたいと考えることがあります。やはりそれはラオス人の温かい人柄のおかげです。彼らから見れば私は、ラオス語が上手ではない、外国から来た人間でしたが、とても優しくしてくれました。「はるかが一人にならないように声をかけよう!」「一緒にご飯を食べよう!」「どこかへ出かけよう!」そういった温かい言葉かけを思い出すたびに、みんなに会いたいなと思います。

ラオスは自然が豊かです。日本の本州ほどの大きさの土地に約700万人の人しか住んでいないので、東京に比べると人口密度も全く異なります。自然の中でゆったりのんびり暮らしていた2年間はとても恋しいです。

山内:反対にラオスでの経験から、日本ならではの良さを感じたことはありますか。

鈴木:ご飯がおいしいところと、衛生面が整っていることです。ラオスにいるとその生活に慣れてしまいますが、日本に帰ってきてまず空港のトイレがとても綺麗であったり、小学校のトイレが洋式だったりと、日本の素晴らしさを感じました。

電車やバス、人の待ち合わせなどが時間通りに進んでいく点にも感心しました。ラオスでは10分の遅れは日常で、1時間遅れていたらやっと連絡してみようという具合です。

学部時代のスタディツアーでの様子

カンボジアで広がる健康教育、そこで感じた難しさ

山内:現在はどんなお仕事をされていらっしゃいますか。

鈴木:学芸大学の国際課に所属し、カンボジアの子どもたちに健康教育を普及する仕事に携わっています。カンボジアの教員養成大学に、新しく学校保健コースが開設されることになり、そこで使うテキストやシラバスを現地の先生方と一緒に開発しています。

入戸野:現地との交流で難しいと感じること、または、やりがいを感じることはどんな時ですか?

鈴木:カンボジアと日本の環境は違うため、教科書をつくる際も日本の基準ではできないところが難しいところです。カンボジアの学校にあっているか、現地の人々の暮らしや考え方にあっているかひとつずつ確認していかないと意味がありません。

教科書やシラバスを書く際にまずは日本語で書いて、それを英語に訳し、英語をクメール語に訳す手順を踏んでいます。クメール語には専門用語が少なく、日本語や英語であれば一言で表現できるものが、クメール語にはない場合もあります。新しく言葉をつくるのは現地のスタッフの方にも頑張ってもらっている作業です。英語と日本語で伝えたいことを考えますが、クメール語に訳すことはできるか、というやり取りが難しいです。

やりがいについて。カンボジア人の先生方はやる気に満ち溢れています。講習会を開いてもたくさんの発言があったり、自分の考えを積極的に表現してくれるのでとても楽しいです。もっと現地の先生方の力になりたいと思っています。

山内:日本とカンボジアの人々の違いはどんな点だと考えていらっしゃいますか。

鈴木:教育にも文化にも違いはたくさんあります。教科書作成の中でも、特に性教育の分野は書き直しを何度も行ったぐらい難しいと感じました。日本も性教育が遅れている国ではありますが、徐々に学校でも教えていこうという動きがあります。仏教的な背景があるのかもしれませんが、カンボジアでは、はっきり表現してほしくない、教科書の内容によってはいじめに発展するのではないかという議論になることがあります。

また健康的な食生活の分野に関して、ラオスやカンボジアは日本とも似ている部分があります。しかし、日本でいう主菜副菜などの枠組みをカンボジアの食に当てはめようとすることは難しいと感じました。

入戸野:カンボジアとラオスの共通点や違いはありますか。

鈴木:やはり隣の国同士なので文化的に似ている部分があります。例えばどちらの国でもお酒が好まれ、みんなでワイワイ楽しく食事をします。しかし言葉も異なり、民族的にも違いがあります。カンボジアでは一時虐殺があり、ゼロからスタートした背景があるからか、勢いのようなものを感じます。そのため現地の先生方も新しく何かを習得し、それを「未来につなげていきたい」という想いが強いのかなと考えています。ラオス人はみんな優しいですが、全体的にまったりしていて「いまのままでも幸せであればいい」という雰囲気があります。研修などをすると、その点では文化の違いを感じました。


青年海外協力隊時代のラオス人の同僚と鈴木春香さん

のびのびと興味の赴くまま勉強に没頭した大学生活

山内:学芸大学の魅力を教えてください。

鈴木:入学時、養護教諭という職業に興味はありましたが、将来の進路は決定していませんでした。在学中いろいろなことに挑戦する姿を先生方が認めてくださり、自分の興味の赴くまま自由に勉強することができてすごくよかったと思います。
教員志望はもちろんのこと、さまざまなことに挑戦できる環境が、学芸大学の素敵なところだなと
思います。

入戸野:今後の目標はありますか。

鈴木:私はやはり海外に興味があり、いつかラオスに戻って仕事をしたいですが、ラオスで仕事を見つけていくのはとても大変です。それでもJICAやNGOで働くため、今後も英語力を磨いていきたいです。またそのような仕事に携わるための専門的な経験が足りないので、その点に関しても勉強していきたいです。

山内:最後に現役の学芸大生へメッセージをお願いします!

鈴木:4年間のさまざまな経験のなかで、自分のアンテナが強く反応する機会があると思います。同級生の多くが教員を志望する環境で異なる進路を考えると不安になることもあるかもしれません。私は大学院へ進学し、2年間をラオスで過ごしたため、同級生とは社会人になるまでに4年間の差があります。その4年間でかけがえのない経験を得ることができたため、後悔はまったくありません。在学中に挑戦したいと思ったことをみなさんにも大切にしてもらいたいと思います。

取材・編集/入戸野舞耶・山内優依
編集協力/D類養護教育教室 竹鼻ゆかり先生・朝倉隆司先生・荒川雅子先生