教育を面白くするメディア 「エデュモット」EDUMOTTO東京学芸大学公式ウェブマガジン

edumotto

edumotto+

持続可能な距離感で、みんなの居場所に

SNSで記事をシェア

名護こども食堂で3ヶ月間、地元に住み込みながら活動した私(筆者)は、貧困という地域課題に直面し、「何か自分にもできることはないか」と強く思った。支援を続けてきた人たちもそれは同じ。だが、思いとは裏腹に運営がうまく回らない現実があった。立て直しに奔走した神谷康弘さん(51歳)は何に気づき、持続可能な道を描いたのか。

もしも服を買えない子どもが目の前にいたら、あなたはどうする?

こども食堂を初めて訪ねたのは2022年の8月。そこで出会った小学生の男の子のズボンをふと見ると、ひざに穴が開きほつれている。新しい洋服が買えないらしい。家では朝ごはんを食べることがないという子もいた。何気ない会話をしながらともに過ごす日々に、彼らと自分の幼少期とで重なる部分を見出すようになる。一方、もどかしさも感じていた。日本にはこういう子どもたちが大勢いる。しかし私が向き合えるのは目の前のたったひとり……。彼らと笑顔で接しながら、なんともいえない無力感に思い悩んだ。

ここに来る子どもたちに服を買ってあげたり生活費を渡すのは、その場しのぎで持続可能な対処法にはならない。根本的な問題解決には、子どもに対するアプローチだけでなく親の雇用や生活習慣の改善が不可欠だからだ。国から支給される補助金の大半は食材費や人件費で消えていく。目の前の課題に向き合うだけで精一杯の、息を吐く間もない日々が過ぎていき、設立から2年後には運営が難しくなっていた。

元サラリーマンが名護こども食堂の副会長に抜擢された?!

当初子ども食堂が開催された神谷さんの居酒屋ぽこぽん、今では学生スタッフが帰りに一息つく憩いの場に。

外資系の金融機関を辞めて名護に移住し、居酒屋などを経営していた神谷さんは当初、時間のある時だけ調理や片付けを手伝う程度の関わりだった。だが、支援者が一人また一人と離れていく一方で子どもたちが取り残されていく姿を目の当たりにし、「ここから離れることはできなかった」。

子ども食堂をサポートしていた大学生の一人が、神谷さんの経営する居酒屋でアルバイトをしていた。生活費を稼ぎながら学業とボランティアを両立する姿を見て、企業からの協賛金を募るなど資金繰りを改善して、支援を続ける学生スタッフに謝金が出せる仕組みを創り出した。運営者の幸福感は子どもたちの笑顔にもつながる。食材や物品を支援してくれる名護の商店や、ホテルをはじめとする企業など、さまざまな人が集う場所としながら、子どもの親も交流できるようにして、家庭が地域から孤立するのを防ごうと考えたのだ。

そんな中、学芸大学との共同研究も始まった。学芸大生とのオンライン学習支援を楽しみにする子どもが複数いる。ヒト、モノ、カネ、情報。これらがつながり出し、公的な援助を最小限にとどめて自ら走る体制、“自走する子ども食堂”がやっと見えてきたのだった。

子ども食堂の主役は、一体だれだろう。

「秘密基地」に持ち込まれ、置き去りにされたおにぎり

ただ、“エンドユーザーは子どもたち”だということを忘れてはならない。初めは自炊の力を身につけてもらうことが活動の目的だった。食習慣が不規則にならないよう、親に頼らず自分のご飯を自分で用意できる力を養おうとしたのだ。当初、子ども食堂は名護市内にある公設市場のレンタルスペースで開いていた。しかし子どもたちが包丁を扱う物珍しさに興味を持ち料理を手伝うのは束の間、すぐに飽きて隣のお店にピンポンダッシュしたり、自転車レースを始めたりと大人たちが予想した枠を超えて無邪気に走りまわる。今は場所を移動し、公民館を借りて開催することになった。話を聞くだけでは、お行儀の悪いとか否定的な印象だけを持つ人がいるかもしれない。だが私は、子どもたちがけらけらと笑い合い、身近な道具で想像を超えるユニークな遊び方をする真っ直ぐな姿に、いつもパワーをもらっていた。

「子どもがやりたいことと、大人がやらせたかった理想が食い違っていたのではないか、彼らができるだけのびのびと、かつルール守りながら安全に遊んでほしい」と神谷さんは当時を振り返る。

ご飯を作る調理担当だけでなく、子どもと一緒に遊んだり、一緒に野菜を切ったりして子どもの興味に寄り添うスタッフが必要だと気がついた神谷さんは、学芸大学とのオンライン交流を含め、さまざまなルートからマンパワーを確保するようになった。

お皿に盛り付けられた山盛りの唐揚げに、子どもたちが駆け寄って揚げたてを手づかみで美味しそうに頬張る。おにぎりを自分のテリトリーに持って行ってトランプをしながら一口ずつかじる子もいる。神谷さんはそれを遠くから眺め、うれしそうに「まだまだあるよー!」と声をかけた。

箸の使い方よりも、食べるマナーよりも、何より食事を楽しんでほしい。そして、私たち学生と子どもたちがのびのび関わる姿を一歩離れたところから見守り続けていた。

電車がない、バスもほとんど通らない名護をひたすら徒歩で移動した3カ月間。この景色は、私が見つけた、とっておきの場所です。

子ども食堂を手伝い始めて2カ月がたったある日、私は神谷さんに「7年間子ども食堂を続けられたエネルギー源は何ですか?」と尋ねてみた。「一人でも多くの子どもの力になりたい」というような答えを期待していたが、返ってきたのは「子どもたちに特段の思い入れはないよ」という言葉だった。当時は冷たい人だと思ったが、こうして名護で過ごした3カ月を振り返り、神谷さんと対話を重ねるうちに、その意味を改めて捉え直している。

子どもたちへの思い入れは期待を生む。期待が大きくなると、それに反した行動に失望や怒りの気持ちを抱いてしまう。そんな大人の感情は意外にも子どもへひしひしと伝わってしまうもので、彼らの足は子ども食堂から遠のいていく。子どもたちへの思い入れが、かえって“居場所”を奪ってしまうのだ。

それを体感したからこそ、神谷さんは子どもたちから少し離れた場所で、期待せず強要せず、ただ見守る。必要とされれば寄り添う。「思い入れはない」という言葉の背景には、子どもたちの未来を思う温かさがあったのだ。困難を抱える子どもたちが最大限のびのび生きられるよう、たったひとつ私にもできたのが“適度な距離感をもつこと”。3カ月の活動を通して身についたこの感覚は、沖縄から帰京した今でも、全ての子どもと関わるときに欠かせない私のものさしとなった。

お別れの日に記念撮影をしてくれた神谷さん。私のスマホを持って行った小さな女の子が動画に撮ってくれていたのを東京に帰って気がつきました。名護子ども食堂は今や子どもだけでなく、インターンで訪れた学芸大生たちも休みを利用して各々遊びに行く“みんなの居場所”となりました。神谷さんはそんな学生たちを、いつも温かく迎えてくださいます。名護のみんなへ、ありがとう。

 

 

名護こども食堂に密着#1はこちら

東京⇄沖縄 学生と一緒に歩むこども食堂

<関連サイト>

名護こども食堂Instagram
https://www.instagram.com/75kids

名護こども食堂ウェブサイト
https://www.gonago.info/

 

取材・編集/山内優依
イラスト/もんちっち