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教育の未来

自己表出から人間らしさへの「気付き」を育てる道徳の授業

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2024年6月上旬、「学びの未来を、共に拓く」をテーマに掲げ東京、仙台、大阪で開催されたNEW EDUCATION EXPO。私たちが訪れた東京会場には最先端の教育の姿を見ようと全国から多くの教育関係者が集まり、熱気に包まれていた。

教育関係者を魅了する公開授業

NEW EDUCATION EXPOの中でも、とりわけ来場者で賑わっている空間があった。東京学芸大学附属竹早小学校の幸阪創平先生の公開授業である。実際に竹早小2年生の児童が会場に来て、道徳の公開授業が実施された。

公開授業の教材は、イソップ物語として有名な『アリとキリギリス』。冬に備えて入念に食べ物を蓄えるアリと、毎日遊んで暮らすキリギリスの対照的な姿が描かれる。ただ、この授業で後半に扱ったオリジナルストーリーの『ぞく アリとキリギリス』では、キリギリスは働いてお金を貯め、最終的に旅に出る。

思わず「すごい…」と息が漏れてしまうほど、圧巻の授業だった。先生とともに、児童自ら積極的に授業を作り上げていたからだ。

夢の実現に向けうまくいくかわからない旅に出ると決断するキリギリスの生き方に憧れるか聞かれると「○○だから私は憧れます。例えば○○で…」と言葉が止まらない。『相互指名』では、意見を言った児童が次に考えを聞いてみたい児童を当て、児童同士で授業を展開していく。さらに、自分ならうまくいかない旅に出るかを赤(旅に出る)と青(旅に出ない)のハートで表そうという場面では、紫が入っているハート、まだら模様のハートなど多種多様なハートが大画面ディスプレイに映し出されていた。「その手もあったか!」。児童が繰り出す創造的なアイデアに教育関係者も興味津々だった。

このような参加者の発見に溢れた授業を展開した幸阪先生に話を伺うことができた。

自由な表現ができる環境を

授業でもひときわ注目を集めたハートによる自己表現。そこには幸阪先生の内なる思いが込められていた。

「はみ出してもいい。外側に描いてもいい。何色を混ぜてもいい。何をしてもいい。自分の思ったことを自由に表現してほしい」

あえて枠を点線にすることで、自由度を高めた。さらに、赤と青の二色で塗るのも意図的だという。

「分かりやすい一方で型にはまりがちな二項対立の手法ですが、あえて青と赤で二項対立的に塗らせました。児童にやらせると色を混ぜる、形を変えるなど新しい三つ目の表現方法を考えるんですよ。」

どんな色で、形で書こうかな。児童たちは真っ白なキャンバスに目を輝かせた。そうしてめいっぱいに膨らんだ想像が、幸阪先生のねらいの通り二つとして同じもののない自由な自己表現につながったのだろう。

自分を表現するだけでなく『聞き合い』も重要だという。

「自由に自己を表出できるというのは、それを受け止めてくれる誰かがいるということ。聞くことがまずは大切なんです」

受容してくれる誰かがいるという安心感は自由な表出を促進する。さらに、他の児童が表出したものを受け取り、またそれを受けて表出する。一年生の時には難しかった『聞き合い』。今年二年生となり一歩成長した児童たちに、自分と他者の話をつなげ、ともに学んでいく姿勢を身に付けてほしいと願いを語った。

人間らしさを尊重する道徳でありたい

「夢を追うため旅に出るキリギリスさんのような生き方に憧れますか、憧れませんか」

幸阪先生は『憧れ』の視点でキリギリスの生き方を児童に問いかけた。どのような意図があったのだろうか。

「道徳はあるべき姿を探すようにみえて、人間的な弱さを語り合うことを大事にしていると思うんです」

道徳というと、「友だちを大切にしよう」「ゴミは拾おう」など暗黙の正解があると思いがちだ。もちろん正しい行いをしようという心がけは必要になるが、自分の思いが上手く伝わらず友だちと喧嘩してしまうことはあるし、心に余裕がなくて拾えないゴミだって時にはある。『正しさ』だけで問うと見逃されてしまう人間の弱さ。それを『憧れ』にすることで語り合おうという思いがあった。
正しさとともに人間らしさに気付いていくことも道徳教育の真髄なのかもしれない。

幸阪 創平

東京学芸大学附属竹早小学校教諭、研究推進員委員長

竹早地区研究テーマ「未来の学校 みんなで創ろう。PROJECT」では、メタバース空間における道徳対話に関する実証的研究に取り組む。また、東京学芸大学大学院連合学校教育学研究科博士課程で「子供の願いに基づいた学びの主体性を育むカリキュラムデザイン」について研究中。元文部科学省「私たちの道徳」編集委員。道徳科教科書編集委員。道徳教育研究会「語ルシス」運営、「道徳授業の普遍と変革」をテーマにセミナーを随時開催中。

編集後記

児童が授業を受けていると、どうしても先生が求めている答えを探してしまうことがあると思います。私もその一人でした。しかし、幸阪先生の授業には「自分」というフィルターを通した意見が引き出されていました。「自分だったらどうだろう?」自分の経験や、エピソード、違う生き方をしてきた人間一人ひとりだからこそ表出される意見は生き生きとしていました。
道徳の授業へ新たな気づきが生まれたこの取材。この場で得たヒントを今後の授業作りに生かしていきたいです。

 

取材・編集/小沢真奈、岩田有紗、石川智治、大内涼葉
写真提供/株式会社 内田洋行