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みちしるべ

自らの力で学んでいける子どもたちを育てたい

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笠松具晃先生【第9回みちしるべ】

東京学芸大学に通う学生がインタビュアとなって、さまざまな分野で活躍する卒業生の考え方や生き方にせまるコーナー「みちしるべ」。第9回のゲストは、小学校教諭の笠松具晃先生。インタビュアをつとめるYが、附属小金井小学校4年生のときの担任の先生で、サバイバルテストや百ます計算など、独自の授業を実践されていたことが印象的だったことからインタビューを申し込みました。ラグビーとともに生き、勉強の「楽しさ」「おもしろさ」を子どもや学生に伝えることに対して1ミリの妥協も許さない、素敵な先生です。
(写真左:笠松先生 右:先生のご長男)

インタビュア:入戸野舞耶 山内優依

笠松具晃先生

高校時代にラグビーを始める。1989年東京学芸大学A類保健体育選修に入学し、ラグビー部に所属。大学卒業後、センチュリーリーシングシステム株式会社に入社。その後長崎県の教員採用試験を受け、県内の公立小学校の教師となる。1993年、ラグビー部の国体長崎代表に選ばれ、35歳までプレー。同時期に長崎県ラグビー協会にてタグラグビーの普及にあたる。2008年、学芸大学附属大泉小学校に赴任し、教師をしながら、学芸大ラグビー部監督となる。就任時ライバル東京都市大学に0-133で大敗を喫したところから4年かけて全国大会優勝へと導く。その後、地元九州に戻り福岡市立姪浜小学校勤務を経て、現在は伊万里市立ニ里小学校で教員生活を続けている。

ラグビーと生涯付き合う人生=学芸大学だった

入戸野:東京学芸大学を志望された理由を教えてください。

笠松先生(以下、敬称略):ラグビーが好きだったのが大きな理由で、私みたいにラグビー選手としてトップにはなれない者が、ラグビーとともに生涯付き合っていけるとしたら教員しかないと思い、学芸大学を考えました。

山内:学生時代に受けた授業で、今でも印象に残っていることがあったら教えてください。

笠松:3人の先生に関わった授業が、いまの自分の人生で大きな影響を受けたと思います。
まずは体育科教育法の細江文利先生と永島惇正先生の授業です。専門知識がない学生たちの意見に真摯に耳を傾けていただいた姿勢が、今も私が理想としていている教師像です。
あと、サッカーの専門であった瀧井敏郎先生の授業。サッカーというものを構造的に分析していらっしゃって、論理的な思考のもとにスポーツをとらえることができることを初めて学びました。偶然ではなく、1つ1つに必然があるというのを学ばせてもらったと思います。それはいまもラグビーという競技と向き合ううえで、すごく役に立っています。

入戸野:長崎県ラグビー協会に所属されていたそうですが、どのような活動をされていたのですか。

笠松:まずラグビーワールドカップの2015年誘致を目指し、タグラグビー(※)を通して、全国の小学校の校庭にラグビーボールを転がそうというプロジェクトが進みました。その中で私も関わることができました。
具体的には学習指導要領の体育の単元の解説の中に、「タグラグビー」を載せることを目標に、学生時代のラグビー部の先輩で、現在、学芸大学で教鞭をとっておられる鈴木秀人先生と協力しながら普及に努めました。しかし、ラグビーのコンタクトプレー(体をぶつけ合うこと)に対して、子どもの保護者の方々が心配するのは世界共通で、ラグビーの強豪国でさえ子どもにラグビーをやらせないという状況が増えてきています。だからこそ、タックルのないタグラグビーを広めることを通じて、ラグビーの普及だけでなく、運動の苦手な子たちでも楽しめる競技として、スポーツの楽しみを伝えていくことを目指して活動しました。

※タグラグビー…初心者向け&子ども向けのラグビー。腰に装着したタグベルトをとることがタックルの代わりになるため、けがなどのリスクを抑えることができる。

山内:学生時代のラグビー部の先輩の鈴木先生と再開された後、附属大泉小学校に勤めることになったそうですが、その時のラグビーとの関わりはどうであったのでしょうか?また、大泉小に勤めるにあたって、小学校で勤務しながら監督をされるのは大変なことだと思うのですが、そのやりがいはどこから導き出されたものなのでしょうか。

笠松:やはりラグビーが好きだからです。2019年に日本で開催されたワールドカップで、日本代表が南アフリカに勝った試合を観るといまだに泣けます。頑張っている部員たちの想いを遂げる力になりたいという気持ちと、自分も大学生のころに夢見た全国地区対抗出場を成し遂げたいという想いです。

大泉小に勤めるにあたって、鈴木先生から依頼されたのが大学のラグビー部の面倒をみることでした。いわゆる監督を引き受けるということです。一生ラグビーと付き合っていきたいと思っている私にとっては、渡りに船の話でした。この機会に後輩の面倒も見られる、一緒にラグビーできるということで、喜んで引き受けました。

(東京学芸大学ラグビー部 2021年度)

仕事に対する価値観を変えた、民間企業でのやりきる楽しさ

入戸野:ところで大学卒業後は民間企業に勤められていたそうですが、その時に印象に残っている出来事はありますか。

笠松:たくさんあります。まず価値観が変わりました。入社して1週間は基本的なビジネスマナーの講習は受けますが、実際営業に配属されると、上司から「この仕事をしなさい」とは一切言われませんでした。自分から動いて仕事を見つけられなければ、ずっと机に座りっぱなしで電話番になってしまう状況でした。

山内:当時の体験から、現在小学校教諭として児童生徒たちと接するうえで意識していることはありますか。

笠松:私は入社1、2年目から、会社で責任をもたせてもらえました。1年目から数々の失敗を乗り越えて、たくさんの取引先と成約できるようになったので、「仕事って楽しいな」と思えるようになりました。
学生時代は、仕事に対して「生活の糧を得るために、仕方なくする」というイメージがありましたが、実際会社に入ったら全然違いましたね。 仕事のネタを自分でみつけて自分で交渉して、自分で契約を取れたら、とてもうれしいです。また、同じ部署の同僚や上司と相談しながらみんなで仕事を成し遂げて、最後に「やった!おめでとう!」と居酒屋で一杯やるのがすごく楽しかったです。仕事を自分で見つけて成し遂げる、そういった経験を子どもたちにもさせてあげたい、というのが私の教育観の中心にあると思います。

入戸野:独自に展開されている授業のエピソードを教えてください。

笠松:みなさんテストを受けられた後に、赤ペンで答えの書き直しをやらされませんでしたか?「あれって何の意味があるのかな」と思ったことはありませんか?ただ、答えを写すだけになってしまう。もっと大切なことは、書き直しではなく「解き直し」じゃないかなって思っていました。もう一回考えて解き直す。ただ、同じような問題はなかなか見つかりません。また、学力の厳しい子にとっては、その問題の解き方のパターンを習得するというのも1つ武器になると思い、できるまで、100点を取れるまで何回も何回も繰り返すというサバイバルテストを行いました。教室の前にプリントを200枚ぐらい置いて、1問でも間違ったらまた最初から解き直します。少し厳しいですが子どもたちに力と自信をつけようと、やってきました。

山内:新しいことに挑戦する中で、周りから批判を受けるようなときはありましたか。

笠松:私はかなりポジティブな人間なので、失敗を失敗と思わないというところがあります。でも、確かにこれまでいろいろな批判は受けました。ですが、そこは個々の意識の違いだと思います。その先生がおっしゃることもわからなくもない。うまく自分の考えが伝わらないということは、自分の勉強不足だと思いながら、言葉をつけ足しながらうまくすり合わせをしていきました。
教科書通りの授業って、日本全国の小学校すべてに通用するとは限らないと思います。地域の自然や特色の中にある学びのチャンスを捨てたくありません。そして、その先にある子どもたちの楽しそうな顔を考えると、どれだけ手間がかかってもやりたいなぁっていう想いが募り、わたしの原動力になっています。

あらためて考える、教員という職業のおもしろさ

入戸野:長年教員を続けていて、どんなところにやりがいを感じていますか?

笠松:私の学生時代って「勉強は楽しんではいけない」という雰囲気があったように思います。勉強は苦しいものだ、でもそれを乗り越えるものだと。 当時は「勉強って楽しい」って誰も教えてくれなかったような気がします。それが大学に入ってから、先ほどご紹介した先生以外にも、楽しいと思える授業がいくつもありました。また、会社に勤めた経験もそうです。そういった想いを子どもたちに伝えたい。そして、それを伝えることによって、自分も今の仕事が楽しくなります。あと何年かしたら定年ですが、こんな楽しい場所である教室をできれば離れたくないです。

山内:教員に向き不向きはあると思いますか。

笠松:どんな仕事でも同じだと思いますが、合う、合わないはあると思います。ただ、そう簡単に判断はしない方がいいと思います。実際、私は3年生で教育実習に行ったとき、指導担当の先生から「あなたは学校の先生にならないほうがいい」といわれましたから。自分もそのとき教師になるのか、企業人になるのか迷っていたところもあったので、企業に行った方がいいかなと思いました。
でも、4年生で行った教育実習で「あぁ、子どもってかわいいよね」と、あらためて思いました。その学校に行って子どもたちとのふれあいがあったから、今があるのかなという気もします。年齢を重ねていった後でも、教員はまたやり始めることができる職業です。私も最初の就職は民間企業でした。だからいまの自分に合わなくても、将来もしかしたら自分の成長とともに子どもたちに接してみたいと思うときがくるかもしれません。ぜひその時はまた教員を目指してもらえればいいと思います。

入戸野:教員が学校以外の世界を知っていることの意義は、どのようなところにあると思いますか?

笠松:学校という場所が社会人になるための準備の場所であるのなら、社会人はどんな資質・能力が必要なのかを教師が知っておくことが大切だと思います。仕事を自分で見つけることとか、そこに楽しみがあることとか。また、「学校の常識は社会の非常識」といわれることがあります。だから学校の中だけの論理で、指導や学習方針を決めるのではなく、社会的には、倫理的にはどうなのか。俯瞰的なものの見方ができることが、ほかの職業を経験した者の強みではないかと思います。

コロナ禍の授業は、教育が変わるチャンス

山内:変化する環境の中で、今後の目標はありますか?

笠松:現状のコロナ禍は、教育が変わるチャンスだと私は思っています。いま問題になっているのは、「子どもが学校に来なかったら勉強しない、できない」ことではないでしょうか。ということは子どもが自立した学習者に育ってないという証ではないかなと思います。つまり、学校側から課題が出なくても、子どもが自分で設定した目の前の課題に取り組んで、学びを深めていけるようにすることが本来教育の目標だと私はとらえています。だから、もし担任している子どもたちが、コロナ禍で自ら学ぼうとしなかったのなら、それは担任である自分が学習者を育てられなかったと反省し、今までの実践を見直すべきでしょう。
私の理想とする授業は、先生が教室に来なくても子どもたちが自分で勝手に学習を始めて、分からないことは友だちに相談する、必要なときだけ先生を使う、そして時間が来たら勝手に終わるクラス。私はそれを目指して、普段の授業では教材を通して子どもたちに汎用性のある学習方法を教えているつもりです。「教師がいなくなっても自らの力で学んでいける」そういう力がついているかを見定めるのに、いま、このコロナの状況はそのチャンスではないか、自分も含めて先生たちがそう思えるようになったら、日本の教育って変わっていくんじゃないかと思いました。

入戸野:現役の学芸大生に向けて、メッセージをお願いします。

笠松:学生のみなさんは、いまは自分の目の前にあることを頑張るのが一番だと思います。頭だけで先行するのではなくて、まず動いてみる、やってみる。失敗もとらえ方次第では、失敗ではなくなります。そうやってポジティブにとらえて自分で研鑽を積むことのできる人は、子どもに対しても良い学びを作れると思います。ですから、とりあえずある程度の見通しが持てたら行動してみる。やってみて、その結果が良くなくても、そこから必ず何か自分にプラスになることもあると思います。そういう気持ちで、いろんなことに取り組めれば「楽しい」ですよね。

 

取材・編集/入戸野舞耶・山内優依