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みちしるべ

きこえないスポーツのきこえる監督~デフバレー女子日本代表監督 狩野美雪さん~

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東京学芸大学の卒業生を訪ねる「みちしるべ」。今回お話を伺うのは、デフバレー女子日本代表監督の狩野美雪さんです。元オリンピアンでもある狩野さんは2011年にデフバレー女子日本代表チームの監督に就任。デフリンピック2025東京大会では、チームを二度目の金メダルへと導きました。

デフリンピックとは、4年に一度開催される、デフアスリートを対象とした国際スポーツ大会です。きこえない選手をまとめる、きこえる監督。聴覚障害者のコミュニティに参加していくなかで、狩野監督が得たものとは。学芸大学での学びと監督業のつながりについても伺ってきました。

指導者としての原点 学芸大学での学びの中で 

学芸大学学生時代、バレー部での練習風景

学芸大学生時代の狩野さん。バレー部に所属していた。(提供:狩野さん)

狩野さんが学芸大学に進学したのは、かつて教師を志していた母親の影響だった。大学で印象に残っているのは、履修者が100人を超える授業で1対1の口頭試問を行う先生や、学生とともに24時間マラソンの実験を行う先生。熱心な先生方から学んだ知識は、後にコーチの資格を取る際に役立った。

課外活動ではバレーボール部に所属。同じ学科にはバレーボール以外の競技に取り組む人も多く、さまざまな競技に打ち込む同級生と日々を送った。多様な進路を歩む彼らの存在は今でも狩野さんにとって刺激になっているという。 

卒業後の進路には迷った。「一度プロの道を外れてしまうと、再度その道に戻ることは難しい」

のちに所属することになる実業団の監督の言葉が決定打となり、プロのバレーボール選手として歩みを進めることに決めた。2008年には日本代表として北京オリンピックに出場した。

「きこえる監督」として「きこえない選手」と関わる

練習中の選手への指導の様子

選手を指導する狩野さん(右手前)。練習にはバレーボールのプレー経験がある手話通訳が付き、監督自身も手話と音声を使い分けながら選手とコミュニケーションをとる。(提供:狩野さん)

「指導者になるというのは、競技に長く携わっていく一つの道」と語る狩野さんは現在、デフバレー女子日本代表監督を務めている。

「デフバレー」とは、「Deaf」(英語でろう者の意:主に手話を第一言語とする聴覚障害者のこと) と「バレーボール」が組み合わさった語だ。聴覚障害者によってチームが組まれるバレーボールのことを指す。

デフバレーとバレーボールの違いについて狩野さんは、「聴覚障害のある選手に合った指導方法や練習方法を採るという以外に違いはない」と語る。その一方で、両者を完全に「同じ」とは言い切れないようだ。

たとえば、聴覚障害者には多様性がある。聞こえの状態や失聴時期、コミュニケーション方法は人によって異なり、彼らを「きこえない」と一括りにすることはできない。また、聴覚障害者は1000人にひとりの割合で生まれるため、デフスポーツは選手の分母が少なく、スポーツ市場規模が小さい。こうした実態が、デフスポーツにおける専門性のあるスタッフの確保や安定した運営に影響を及ぼしている。

選手が実費で負担する部分が大きかったり、賞金や社会的地位などのインセンティブが少なかったりするため、一度結果を得たら競技を離れていく選手も多いという。これらの課題がある中で、狩野さんがデフバレーに関わり続ける理由は何だろうか。それは、選手の存在だという。

良いプレイヤーになるための条件のひとつに、他人への指導に関心を向け、それを自分に取り入れられるということがある。しかし、聴覚障害がある場合、他の選手に対する指導を耳から拾うことが難しい。つまり、偶発的に学習できる機会が少ない。今まで情報を受け取れていなかった部分を補足すると、選手たちはめきめきと上達していく。監督をしていて喜びを感じる瞬間だ。

「指導をしていると『なるほど~』が多いですね」とあごに親指を当てて、「なるほど」の手話をする狩野さん。選手たちには、結果ではなくプロセスに価値を見出す経験を通して、選手人生を終えた後も生きていく力を養ってほしいと、愛を込めて語った。

「バレーボールの専門家」がデフについて語ること 「共生社会」のその先へ

デフリンピック会場で選手たちとの記念撮影写真

デフリンピック2025東京大会。第1回大会から100年目にして日本初開催という記念すべき大会において、デフバレー女子日本代表チームは2度目の金メダルを獲得した。(提供:日本デフバレーボール協会)

狩野さんに今回のデフリンピック2025で印象に残っていることを訊ねた。

バレーボールの会場となる駒沢公園を歩いていた時だ。犬の散歩をしていた男性が、手話で「がんばって」と伝えてくれた。「初めての経験だった。会場でのサインエール以上に、道行く人に手話で声を掛けられたことがうれしかった」。他にも、帰り道の電車で、街で、さまざまな国の手話言語で話す人を見た。

「私は“バレーボールの専門家”であって、“デフの専門家”ではない」と狩野さんは繰り返し語る。

「でもきこえない彼女たちと過ごすのが私の日常なんです。『聴覚障害者には多様性がある』と言われて、その意味を理解することができる。専門家でない私がそういう状態であることに意味があると思う」

『共生社会』という言葉をいちいち謳わなくてもよい社会にしたい。狩野さんが思い描くのは、デフリンピック期間だけに終始しない、日常のアップデートだ。

今後は、現場で得た知見を基に、障害者アスリートがトップアスリートとしての自覚を持って、社会に貢献していくプロセスを後押ししていきたいという。障害があると支援される側として見られがちだ。アスリートも応援される側であることが多い。それでも「アスリートは応援『する』側であれ」というのが狩野さんのポリシーだ。スポーツには人の心を動かし、勇気づける力がある。

デフバレー業界には、学芸大学の出身者が多い。狩野さんいわく、大学バレーボール部のつながりなのだという。教育はどの分野にもつながる学問。学芸大学で培った、教育に対して真摯に向き合っていこうとする姿勢が、自分の選択肢を広げてくれたのかもしれない、と最後に語った。

狩野美雪さん

2000年3月東京学芸大学N類(現在のE類)生涯スポーツ専攻スポーツコーチ選修卒業。以後、バレーボール選手として複数のチームでプレーし、2008年には日本代表として北京オリンピックに出場。2011年からデフバレー女子日本代表監督を務め、2017トルコ大会、2025東京大会においてチームを金メダルへと導く。

編集後記

教える側と教わる側が互いに気付きを与え合う。日常のふとした場面で双方向の矢印が生まれるところが、教育の魅力のひとつだと思います。教育実習で感じたわくわくした気持ちを、狩野さんとのお話の中で再確認することができました。教育の在り方についてじっくり思いを巡らせた経験は、たとえどんな道に進んでも支えになります。狩野さんから紡がれる言葉は、新たな一歩を踏み出そうとする皆さんの背中をそっと押してくれるはずです。(赤尾)

私は大学に入ってから聴覚障害の世界と出会いました。静かでにぎやかな「きこえない」世界。そこには多様な人がいるという現実。「きこえる人」として関わる難しさ。さまざまな価値観の間でゆれることが多いですが、先人である狩野さんの言葉からたくさんのヒントを受け取ったように思います。(岩田)

 

取材・編集/岩田有紗、赤尾美優
写真提供/狩野美雪さん、日本デフバレーボール協会