せんせいのーと
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「せんせいのーと」vol.28 は、中国哲学がご専門の井ノ口哲也先生です。研究室決めに迷う学部一年の井ノ口青年が、「この研究室ならなんでもできるよ」という言葉に招かれ辿り着いた中国哲学研究室。そこで出会った中国哲学は、周囲の環境や出会いと反響しながら今もなお、井ノ口先生の中心にあるようです。中国哲学とは何か。言葉や人と出会い、導かれ、研究に没頭することとは。先生の人生を辿りながら考えます。
井ノ口 哲也
人文社会科学系 人文科学講座 哲学・倫理学分野 教授
兵庫県神戸市生まれ。山口大学人文学部人文学科卒業後、東京大学大学院人文社会系研究科アジア文化研究専攻に進学。博士(文学)。博士課程では中国の北京師範大学に二年間留学。2004年4月に本学に着任、2020年4月から現職。専門は、中国哲学。最近の趣味は、家族が寝静まった後に録画した朝ドラを見ること。
ご専門について教えてください。
井ノ口先生:私の専門は中国哲学です。といっても「哲学」という難しそうな事をやっている感覚はなく、フィールドがたまたま中国だった、そして中国の知識人が考えてきたことが研究対象になってるという感覚に近いですね。中国の歴史は長いので、ひとくくりに中国哲学というのは少し難しいかもしれません。ただ、孔子や孟子など、偉大な思想家の「キャラクター」というよりは、その人物が生きた時代状況の中で体得し構築してきた「思想」を中心に据えて研究しています。
東京学芸大学ではどのような研究をされていますか。
井ノ口先生:中国思想やそれに道徳教育を絡めた研究、本の執筆などに取り組んでいます。東京学芸大学は教育学部であって文学部ではないので、何かの作品をずっと読んで、それを拠り所に人生を送ろうという人は少ない。だから教育現場に出た後でも活用してもらえたらいいなという思いで、授業をしたり、『入門 中国思想史』などの本を執筆したりしています。
中国思想に関する著書の数々。附属図書館にも所蔵。
井ノ口先生はなぜ中国哲学を専攻されたのでしょうか?
井ノ口先生:はじめは歴史、特に昭和史がやりたくて国史学研究室に所属するつもりだったのですが、学生がたくさんいて、ここに埋もれるのは嫌だなと思ったんです。紆余曲折を経て辿り着いたのが中国哲学研究室でした。自己紹介のとき「中国のどういうことに興味があるのかな」という先生の問いかけに答えられなかったことが悔しくて、そこから必死で勉強したら、「筋がいいね」と褒められて。調子に乗って、もっと頑張って…今日に至るわけです。
実際に研究テーマはどのように決定されたのですか?
井ノ口先生:学部時代は『中国思想史』上下(日原利国編)という本を読むなかで、この世の間違い、虚偽を徹底的に暴き出して、 何が真実であるかを追求する王充(おうじゅう)という人間の考え方に惹かれました。それがきっかけで卒業論文と修士論文は、今から2000年前の後漢時代を研究対象として、王充の著作『論衡』(ろんこう)を読みました。これは翻訳もあるのですが、やはり人間がやることだから読み間違いがある。つまり原文にあたるということは、最終的には自分の力で読んで責任を取らなくてはいけないのだということを学びましたね。
王充以外に興味が向いたものはありましたか?
井ノ口先生:そうですね、実は学部当時、王充以外に中国古代の“シャーマニズム”にも関心があったのです。シャーマンというのは、死者の魂と交信できる能力を持っている人で、現代も世界のあちこちにいるとされています。学部生の頃、大学の集中講義に来た先生に王充とシャーマニズムに関心があるという話をしたら、白川静さんの『孔子伝』を読むといいと言われました。そこには、孔子はシャーマンの階層の出身だということが書かれていました。孔子の伝記は色々な人が書いてるのだけれど、 1番インパクトがあって、面白い本です。取りつかれましたね。シャーマニズムへの関心から、儒教への関心に転換させてくれた本です。無人島に1冊だけ持っていくのなら、間違いなくこれです。
修士以降の研究生活はどうでしたか?
井ノ口先生:大学院進学後、初めの二年間は周りの優秀さが辛かった。修行の時期だったのだと、今振り返ると思えますが…。博士課程では、北京にいる王充研究の第一人者の先生のもとに二年間留学しました。初めは、未だ日本語訳が出ていない書を読もうとしていたのですが、東京の指導教員に「『後漢書』を読んできなさい」と言われて。それが本当に役に立った。当時の経書の学び方みたいなのがちょっとずつ分かってきて、それが博士論文の中身に結びついたので、先生の言うことを聞いてよかったと思いました。
大学院博士課程の時(長野県松本市での研究活動)
どのような経緯で東京学芸大学に着任されたのですか?
井ノ口先生:帰国後の博士課程は研究以上に生活が苦しくて、将来の見通しが見えませんでした。そのような中で、ご縁があり東京学芸大学に採用されました。着任当初は、トゲトゲしていましたね。授業も厳しかったと思うし、正しいと思うことは言わないと気が済まなかった。王充とまではいかないけれど、世の中の理不尽さみたいなものを全て正したいという思いがあったのでしょうね。今はだいぶ丸くなったと思います。
なぜ丸くなったのですか?
井ノ口先生:結婚したこと、そして家族が増えたことが大きな理由かもしれません。学生を見ると、まだまだこれから一所懸命に歩もうとしている人たちに対して、あんまり厳しくしたらいけないと思うようになったのです。 研究面では、家族との時間が増えて研究時間は減ったはずだけれど、生活リズムや安らぎ、落ち着きとか、言葉では説明しきれない力が湧いてきて、以前より頑張れるようになりました。私が本を著すようになったのは、結婚してからのことです。
東京学芸大学に着任されてから取り組まれたそうですが、道徳教育に関する研究はどのような経緯で始まったのですか?
井ノ口先生:大学教員になり卒論指導をする中で、私の専門を超えて中国哲学に興味を持つ学生たちと出会いました。この大学に中国哲学の専門家は私しかいないのだから、漢代の思想研究だけではいけない。中国哲学に関することを全て自分が引き受けることは、教育者としての責任でもあると思いました。加えて、教員養成系大学である東京学芸大学では、ただ文学部で教えるように中国哲学をやれば良いわけではない。中国哲学という自分の武器である専門と、教育学部の教員という役割の交差点に、「道徳教育」があったのです。
国際シンポジウムでの研究発表の様子(2006年貴州師範大学で)
これから、学者として、教育者としてやりたいことを教えてください。
井ノ口先生:『道徳教育と中国思想』という本を書き終わった時、ふと、これからは与えてもらってばかりではいけない、自分が与える/施す側にならなければいけないと思いました。施しというか、私は全てをオープンにして学生と接し、学生には私を使い倒して欲しい、と思います。私もまだまだだから自分もしっかり学問をやりながら、それでも同時進行的に皆さんへ何か還元していきたいな、と。その時悩んでいることとか、生きている方向性みたいなものに、ちょっとでも役立ってくれたら、多少、私がここにいることの意義が生まれるのではないかなと思います。
この記事を読む方へのメッセージを。
井ノ口先生:私は学部時代に所属していた人形劇サークルも大好きだったけれど、大好きだったサークルもやめて王充の『論衡』を読もうと思って、2年半ほど『論衡』と向き合いました。多分それがあったから今がある。学外で何かにのめり込んで夢中になる人もいるでしょう。それはそれでいいと思うわけです、その人一人の人生として。そういう出会いをするために、アンテナを張ったり、自分から積極的に行動したりすることが大事なんじゃないかなと思います。自分を充実させるもの、自分が打ち込めるもの、夢中になれるもの/こととの出会いを。ぜひね、そういうことを見つけてもらえればいいなと思います。
大学1年生の時(サークル活動の教室で)
井ノ口先生の人生の転換点の多くに、一冊の本や他者からの助言があったようです。原文の機微を捉えようとし続ける先生だからこそ、その一冊が、その一言が転換点になりえたのでしょう。根拠のない自信を持ったまま学者の道に進んだと微笑む井ノ口先生の背後には、はるか2000年の時を超えて向き合う中国思想がありました。転換を決断することも、自分にとって大切なことを大切にし続けることも、莫大な力を要します。転換点というものが「ある」のではなく「にする」ものであるとするならば、この記事が、何かを転換点にしようかしまいか悩んでいたり、過去に転換点を見出そうとしている全ての人にとって、優しく背中を押すスパイスとなることを願います。
取材・編集/遠藤梢子、石川智治、平川璃空